TOO BEAUTIFUL FOR WORDS

天海祐希さんが大好きすぎて、ブログはじめました。 と言いつつ、時々観劇の感激も。

美しすぎる、嗚呼

シャルルの歌の通り、あまみさんは美しすぎる。

わが家では常々、あまみさん美しすぎる問題について真剣に論議を交わしている。

 

このブログのタイトルを「TOO BEAUTIFUL FOR WORDS」にしたのも、あまみさんが筆舌に尽し難いほどお美しいためである。もう本当に「貴女は薔薇、その錆びた比喩さえ輝く」(byシャルルに変装した五右衛門)の歌詞の通り、容姿はもちろん、言葉遣いや考え方、佇まいまですべてが輝いているのだ。

 

今回は、重要に審議されるべき「あまみさん美しすぎる問題」について述べたい。

 

それは、一言でいえば、あまみさんがあまりに美しく完璧なために、「普通」の役柄が回ってこないという問題である。

あまみさんは、「容姿端麗、仕事をバリバリこなす完璧な大人」という役柄が非常に多い。近年のドラマはほとんどそのパターンだと言っても過言ではない。そしてそのほとんどの場合「ただし恋愛的には満たされていない」という設定がついてまわる。

例えば、みんな大好き「BOSS」。2009年版では、毎回最後に恋人と過ごすかわいいあまみさんを見ることができたけれど、最終的にうまくいかなかったし、2011年版では恋人の影すらない。「わが家の歴史」でも、せっかく佐藤浩市と夫婦だったのに悲しい役だったし、「バラサム」のアンヌ様は「男の胸に甘えてもみた」過去はあったようだけれど、観客はそんなアンヌ様を見ることができない。「キントリ」はかわいい子供がいるけれど、夫は殺されてしまったという悲しい設定だし、「蒼の乱」では小次郎と敵対するようになってしまうし、それを言ったら「阿修羅城の瞳」なんか、愛した男と刺し違えるのだ。

つまり、美しく完璧だけれど、恋愛的にうまくいかない役柄ばかりなのである。

それはなぜなのか。

おそらく、あまみさんが美しすぎて、釣り合う人を出すのが大変なのだろう。あるいは、美しすぎるためにあえて変わった役にして面白がってやろうという脚本家や演出家が多いのではないか。わが家では、もっくんも阿部寛も変な役が多いのは、イケメンすぎて、「普通」の役をやらせても現実味がないと判断されているためだろうと勝手に推測している。同様に、あまみさんもあまりに美しく完璧すぎるために、「普通」に恋をして視聴者がキュンキュンするような役が回ってこないのだろうと考えられる。

結論:あまみさんは美しすぎるがゆえに、恋愛的に満たされる役柄にキャスティングされない。(しかしファンとしてはキュンキュンするあまみさんを見たい)

 

だから何が言いたいかっていうと、そんなわけだから、毎回ボディタッチされて手の先まで緊張したり目をうるうるさせてしまうあまみさんは貴重なのだから、ヒロさんどうか幸せになって、キュンキュンするあまみさんをもっと見せてね日テレ!ってことなのだ。