TOO BEAUTIFUL FOR WORDS

天海祐希さんが大好きすぎて、ブログはじめました。 と言いつつ、時々観劇の感激も。

LGBTを描くということ

偽装の夫婦については、思うところがたくさんある。

もちろん、キュンキュンしているかわいいあまみさんや、美しい衣装を着たあまみさんを見られるのは、それだけで素晴らしくて価値あることなのだけれど。

それはまた今度語るとして。

 

LGBTの描き方が、いいような悪いような・・・。メインキャラクターをそういう設定にすることで「私たちは性的マイノリティに偏見をもってはいませんよ」という姿勢をアピールしているようにみえてしまう。だって、ことさらに「ゲイ」「レズビアン」と連呼しているし、何よりも彼らの描き方がまったく古いというか従来のステレオタイプにがっちりはまっているんだもの。

だって、ゲイと「オネエ」とは別物のはずでしょう。超冶だけじゃなくて、初回に出てきた超冶の知り合いも「オネエ」というフィルターがかかっていた。ゲイの人が、皆あんな風にいわゆる「オネエ言葉」を使って体をくねらせて激しいボディタッチをするわけないじゃないか。なぜかゲイの人は「女っぽい」という偏見にさらされているらしい。

脚本家はインタビューで「ジェンダーについて掘り下げて書くつもりはない」と言っていたけれど、わたしは別にそういうことを求めているわけじゃない。ゲイの人を「オネエ」と同一視してほしくないし、レズビアンになるのに特別な理由を付加させてほしくないと思っているだけ。(異性愛者だったのに突然同性愛者になることってあるんだろうか)

なんの特別視もなく、フラットに、男性を好きな男性や女性を好きな女性が出てくるドラマだったらよかったのにと思ってしまう。2015年現在、日本ではLGBTと自認する人が7.6%もいるのだから。だってもしそういう状況を当たり前として演出するのなら(ドラマなのだから日本の現状は無視して、そのような状況に設定することもできたはず)「ゲイ」「レズビアン」て言葉を連呼しなくてもいいでしょ。こういう視線で彼らを描いていること自体、「ジェンダーを気にしない」といいつつマジョリティとマイノリティを区別していることになる。「書きたかったのは2人の関係」と脚本家は言っていたけど、それならなおさらステレオタイプにはめて描くのではなく、キャラクターの存在のあり方を掘り下げて描いてほしかった。

 

とか言いつつ、ヒロさんはかわいいし、天ちゃんの場面はうるうるするから見ちゃうんだけどね!最終回で超冶とヒロさんが結ばれるなんて安っぽい展開にだけはしてほしくないなあ。

 

ああ、こんな調子であまみさんについてだったらいくらでも語れるのに・・・。卒論2万字だって、あまみさんについてだったら3日で書ける自信あるわ。山Pについて研究してる先生がいるんだから、あまみさんについてだったら確実に価値のある研究ができるはず。だってもうすべてが国宝級だもの。

 

今日は電車でルルアタックの広告を見て、あまみさんの美しさにしばし呆然としてしまったよね。2駅分の間ずっと見つめちゃったもんね。ああ幸せだった。